気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

執筆日記1

試験が終わり春休みに入ったので本格的に小説を書き始めた。

今書いている小説は奇数章と偶数章で話の舞台が違う。大雑把にいうと奇数章が現在で偶数章が過去だ。今は偶数章を書いていて、例の友人をモデルにした登場人物が活躍しまくっている。いろんな意味で。

この前サークル活動に顔を出したら、友人がいきなり

「そういえば時田さん、小説の進捗はいかがですか?」

と尋ねてきた。他のサークルの方々には(たぶんバレてるけど)小説を書いていることは言っていなかったので、「今それ聞くんだ!?」と若干引いた。こういうデリカシーのないところも含めて友人をモデルにしてよかったと思う。あっちょっとやめて、石投げないで。ごめんって。

 

前回の執筆日記にも書いたが、友人をモデルにした某登場人物は、いろいろ脚色した結果想像以上にクズになってしまった。友人をモデルにしていることを公言するのも憚られるレベルで、ここまでくると縁を切られても文句が言えない状態である。

しかしここで手を引かないのが時田すみれ。友人に許可を取った上で某登場人物をさらにクズに仕立て上げようと目論んだ。そしてこの発言だ。

「今ね、〇〇くんが4回連続で告白して4回連続でフラれた先輩から新たに告白してきた後輩の女の子に鞍替えしたところまで書いた」

わたしの発言にサークルの方々は失笑した。でしょうね。わたしだって書きながら「こんな奴、実際にいたらやだな……」と思ったもの。

それに対して友人が放ったことばもなかなか衝撃的だった。

「アハハ、俺がやりそうなことギリギリで攻めてくるな~」

……え?今なんて言いました?

わたしは友人が絶対にやらないだろうと思って狂人設定にしたのに、ギリギリで攻めてくるな~って何?きみはそういう奴だったの?へえ……

わたしはもう友人がわからない。こうなったら友人に忖度せず心の赴くまま書いた方がいい気がしてきた。というわけで、若干1名狂った登場人物が出てきますが、その人は友人であり友人ではありません。あしからず。

それにしても、その日のサークル活動の中で言っていた「最近昆虫食に興味があって~」という話をどこかに入れたい。賞味期限の切れたコオロギ食ってる登場人物がいたら、そのエピソードは友人がモデルです。

物語未満

わたしの人生は誰にも消費させないと決めている。絶対。誰にも。
ただ、聞いてほしい話は山ほどある。たとえば、こんな話。

       * * *

電車から降りるときにすれ違った男がPASMOを落とした。駅のホームに裸のままそこにあるPASMOがなんだか不憫に思えて、わたしは反射的にそれを拾い、電車に戻って、男に渡した。男は礼も言わずに受け取った。電車の扉はぷしゅうと音を立てて閉まり、わたしは結局1駅分余計に運賃を支払う羽目になった。

進学のために上京してきてもうすぐ2年が経つ。
都会が楽しいと思えたのは最初の1週間くらいだった。まぶしいだけのネオン街にはすぐに飽きたし、話題のスポットに足を運んでも「混んでるなあ」くらいの感想しか得られなかった。じゃあ地元に戻りたいかと問われれば話は別で、そういうことを考えるとき、自分の都合の良さに辟易してしまう。わたしはどこにもいたくない。

わたしはドアの近くに立ったまま外の景色を眺めた。西日が車内に容赦なく降り注ぐ。乗客のひとりが窓のカーテンを下ろした。わたしは目を細めてでも外を見つめる。つい5分前の出来事について考えながら、ため息にもならない微かな息を吐いた。

 

遠距離恋愛はむずかしいとよく言われるけれど、わたしたちはこれでも上手くやっていた方だと思う。だから、別れのときを迎えた今、もっと何か別のしあわせな道があったんじゃないか、みたいな、そういうことは思いつかなかった。思いつけるはずもなかった。

何度も何度も話し合った。夜通し電話したこともあった。けれど、いちどすれ違ってしまった心は、そう簡単に軌道修正できるわけではない。頭ではわかっているはずなのに納得できなかった。

最後に会おうという話になったとき、てっきりわたしは恋人がいる地元へ帰らなければならないのだと思っていた。だから、恋人がわたしの住む東京の、ごく限られた人しか知らないようなレトロなカフェを指定してきたのには驚いた。そこはネットで話題になるような場所ではない、ただただ古いだけのカフェなのだ。わたしの知らない恋人がいるのだという当たり前の事実に、鳥肌が立った。

直接会うのは半年ぶりだった。わたしは約束の1時間前にカフェの最寄り駅に着いた。駅の近くのデパートを暇つぶしにぶらぶらと歩き回っていると、黒いワンピースが目に入った。飾りのまったくついていない、シンプルなワンピースで、よほどの美人でないと着こなすことはできなさそうだった。わたしはそのワンピースの前に立ち止まり、見とれた。

「そちらのワンピースはたいへん人気の商品でございまして、先ほども1着売れたんですよ」

いつの間にか隣に口角を上げた店員が立っていた。わたしはその場を半ば逃げるように去った。店員には申し訳ないことをしたが、わたしにそのワンピースは似合うはずもなかった。

約束の時間を少し過ぎて改札の前に戻っても、恋人の姿は見当たらなかった。5分、10分、15分待っても来なかった。
ちらちらとこちらを窺う人の気配には気づいていた。気づいてはいたけれど、恋人の特徴とはかけ離れていたから、無視していた。

待ち合わせ場所に戻ってから30分が経過しようとした頃、後ろから名前を呼ばれた。

振り返ったわたしはことばを失った。
恋人は、彼は、さっきまでわたしが眺めていたワンピースを着ていた。

恋人はぽつりぽつりとことばをこぼす。
物心ついたときから、女の子になりたかったこと。昔から姉の洋服をこっそり借りて着ていたこと。半年前、その事実がついに家族にばれたこと。両親に勘当されて東京に出てきていたこと。こっちでは女の子として生活していること。

わたしに、何と説明するか、ずっと悩んでいたこと。

泥水みたいなコーヒーを飲みながら、わたしは恋人の話を黙って聞いていた。恋人にかけることばが見つからなかった。

そこに座っているのはわたしの知らない恋人だった。

改めて恋人の容姿を眺めてみると、恋人は完全に女の子に見えた。元々中性的な顔立ちをしていたけれど、整えられた前髪や肌や爪やまつげは、女の子にしか見えなかった。その上、身につけているワンピースがよく似合っていた。わたしが諦めた、黒いシンプルなワンピース。

「……口紅」わたしはひと言、呟いた。
「え?」
「その口紅、ワンピースに全然似合ってない」
恋人が困ったように笑ったのは、顔を上げなくてもわかった。

「買いに行こう。今から」

続いて出てきたことばには、わたしも恋人も驚いた。

そのときに気づいたことがある。
わたしは、この瞬間が来ることをずっと前から予感していたのかもしれない。

わたしたちは駅前まで戻ってデパートのコスメカウンターに向かった。口角をしっかり上げたビューティーアドバイザーが恋人に合いそうな口紅を片っ端から持ってくる。最初は緊張していた恋人は次第に表情が明るくなっていった。わたしはずっと下を向いていた。恋人は紫の口紅を選んだ。

「すみれ」恋人はわたしの名前を呼ぶ。
「口紅ってどうやってつけるの」
不安そうな顔をした恋人は、わたしの目を捉えて離してくれなかった。
「教えて、すみれ」
今思えば、恋人はわたしにチャンスを与えたのだ。この現実を受け入れるチャンスを。
わたしは恋人の顎にそっと手を添え、買ったばかりの紫の口紅を引いた。手が震えてうまくつけてあげられなかったのに、恋人はニッと笑って「ありがとう」と言った。

「すみれ、ずっとすきだった」
「うん」
「これは悪い夢だから、さっさと忘れた方がいい」
「うん」
「じゃあ、もう行くね。今までありがとう。どうかしあわせになって」

恋人は、彼は、いや彼女は、手を振りながら改札の喧騒の中へと消えた。

わたしは彼女を見送った後、踵を返してデパートに戻り、彼女を担当したビューティーアドバイザーを探した。
「さっきの、彼女と、同じ口紅が欲しいんですけど」とお願いする声は少しだけ震えてしまった。ビューティーアドバイザーは何も言わずにカウンターから口紅を出した。口角は上がったまま、眉だけがほんの少し下がっていた。

      * * *

あのときの恋人は今、わたしと同じ名前を、時田すみれを名乗って、この世界のどこかで生きている。

男子高校生

「たとえばさ」
「うん」
「俺かお前のどちらかが女だったとする」
「うん」
「もしそうだったとしたら、俺ら、結構いい線いってたんじゃないかと思うんだけど」
「どうだろうね」
「なんだよ、つれねえ奴」
「ラーメン屋に並んでるときにする話じゃない」
「そう?」
「腹減ってるときに思考力が問われるような話題を出されても困るんだよ」
「そんなこと言われても」
「俺は今機嫌が悪い」
「知ってる。腹減りすぎたんだろ。だからラーメン屋に連れてきた」
「この地域で一番人気の行列ができるタイプのラーメン屋にな」
「ちょっとでも美味いもんの方がいいかと思って」
「これ以上待たされたら気が狂いそうだ」
「まあまあ。あとちょっとじゃん」
「こんなことになるんだったらコンビニかどっかでスーパーカップでも買った方がよかった」
「後悔しても時間は不可逆だよ」
「お前にだけは言われたくないね。だいたい何なんだ、なんでよりによってこんな日にラーメンなんだよ」
「失恋の痛みはラーメンで補うしかない」
「その持論マジで意味わからん」
「意味わかってもらおうなんて思ってないから」
「ドヤ顔で言うな」
「当たりが強いなあ」
「うるせえ」
「そういうこと言ってるから吉川美南にフラれるんだよ」
「ねえ殴っていい?」
「ダメに決まってんだろ」
「あーもう嫌だ、死にたい」
「そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい?」
「何それ」
「何でもない。気にしないで」
「あ、そう」
「……で、若干話戻すけど、吉川美南になんて言ってフラれたわけ?」
「そりゃあ企業秘密。ミッフィーちゃん」
「お前いつから企業になったんだ」
「ことばの綾だよ」
「知ってる。どうせまたロマンティックなこと言ってドン引きされたんだろ」
「うう……傷を抉るようなことしか言えないのかお前は」
「うん」
「うんって……」
「だからこうやってラーメンを奢ることによって励まそうとしてんじゃん」
「ありがたいっちゃありがたいんだけど、なんだろうこの複雑な感情は」
「素直にありがとうって言え」
「……ありがと」
「やだ照れてるぅ~超かわいいんですけど」
「お前その口調やめろ、気持ちわりい」
「まあ、次の恋愛に向きあうことだね。いつまでもくよくよしてたって仕方ないんだしさ。今日は奢ってやるからありがたく貪り食いたまえ」
「フン、他人事だと思って」
「だって他人事じゃん」
「……」
「ほら、食券機空いたよ。何でも好きなもん頼め」
「……さっきの話、あながち間違いでもないかもな」
「え?何の話?」
「もう忘れたのかよ!もういい、煮卵追加しよ」

執筆日記0

最近、いろんな人に「これから小説を書く」と言いふらしている。そうでもしないと最後まで書ききれない気がしたからだ。

今のところ、小説が完成したら4人に読んでもらうことになっている。母と、某所でお世話になっているSさんと、とある登場人物のモデルになってくれた友人と、いつもTwitterで的確なアドバイスをくれる顔も本名も知らない友人。

彼らには別に感想を求めているわけではなくて、勝手に送りつけるからあとは煮るなり焼くなりすきにして、というスタンスで行こうと思っている。できれば誰かに何かを言いたくなるような小説にしたいとも思っているが、まあそのへんはわたしの腕にかかっているので完成させてみないと何ともいえない。

ここでひとつ問題が発生して、今回の記事はその言い訳をしたくて書いている。

友人をモデルにして作り上げた某登場人物が、なんというか、クズみたいな人間になってしまったのである。

一応ことわっておくが、モデルとなった友人は決してクズではない。わたしみたいな人間と仲良くしてくれる菩薩のような人なのだ。それが、いろいろ脚色してキャラクターを作り上げた結果、どういうわけかクズになってしまった。

ネタバレになるので詳細は書かないが、このまま書けば友人は絶対に傷つく。間違いない。絶交されても文句が言えない。ヤバいどうしよう。

ここまで考えて思い出したことばがふたつある。

ひとつは、「俺の発言は著作権フリーなんで」という友人本人のことば。

もうひとつは、とある作家が言った「何かを表現するということは、必ず誰かを傷つける。傷つけるから作らないのではなく、どんなに配慮をしてもどこかの誰かは傷つくことを承知した上で作るしかない。表現者とはそういう職業である」ということば。

わたしが小説を書く以上、最終的には誰かを傷つける。

結局のところ、わたしは友人の「著作権フリー発言」に甘えるしかない。最後まで書いて友人に許しを乞うしかない。そんな自分が恥ずかしく、そして情けなく思う。

友人ごめん。書かせてください。あなたには一生頭が上がりません。

外食の練習

外食が苦手だ。

人が食事をしている姿がエロくて直視できないのと、わたしなんかがよい食事を摂取するのは申し訳ない(から高いメニューが頼めず店で一番安いものしか食べない)、という理由であまり外食をしたくない。

真っ赤な口紅をつけた人と外食に行ったら口元に注目しすぎてしまい料理の味がまったくわからなくなったり、ちょっと高いメニューを頼もうとすると「この人こんな良いもの食べて生きのびようとしているわ、クスクス」という声がどこからともなく聞こえてきたりする。被害妄想であることは十分承知したうえで言いたい。わたしに外食は無理だ。

そんなことをTwitterにつらつら吐き出していたら、友人から後者の理由について以下のような反応があった。

「同じ店舗の中で良いもの食ってもそんなに変わんない」
日高屋で一番高いラーメンを食うくらいならマジで誤差」

正直これだけで終わっていたら「ハイハイそうですね~」で流したのだが、

「多少良いものを食べる経験をしないと、それを書くときに間違ってる可能性に苛まれますよ」
「人生経験増やしておくと書けるものの幅も多少広がるんじゃないですか」

こんなことばが後に続いたのでさすがのわたしも目を覚ました。

文章に影響が出るのは困る。外食の練習をしよう。

外食の練習って何やねん、というツッコミはひとまず無視して、わたしは翌日早速日高屋に行くことにした。わたしの長所は誰かにアドバイスされたら即実行するところである。

偉大なるGoogle先生によるといちばん近い日高屋は自宅の最寄り駅から2駅先の駅前にあるらしい。電車賃を負担してまで日高屋に行くのか、と母に訝られたが、「友人が日高屋って言うんだから日高屋に行くんだよ!」とわたしは謎のテンションで息巻いた。

翌日、外出先で用事を済ませた後、わたしは電車に飛び乗った。用事が押しに押したのでこの時点で時刻は12時半を少し過ぎていた。空腹で気を失いそうだったが何とか意識を保ち、勝手に作った日高屋のテーマソングを脳内で再生する。気分は最高潮に達しており、わたしはこれから日高屋に行くのだと乗客に言いふらしたい衝動を抑えるのに必死だった。

10分ほど電車に揺られていたら目的の駅に到着した。

この街はかつて15年ほど住んでいたこともあり、庭のようなものである。わたしはGoogle Map大先生を頼りに駅前をさまよった。1時間ほどさまよった。ようするに迷子になった。庭は意外と広いのだ。

空腹も空腹、あと数秒でぶっ倒れるという状況の中、ふと視線を上げると、目の前に日高屋があった。そこは改札の目と鼻の先の場所だった。唖然としたわたしは力が抜けてその場にへたり込みそうになった。わたしの1時間返せよ、などとぶつぶつ文句を言いながら、(おそらく換気のために)開けっぱなしだった入口に足を運んだ。

店に入ってまず驚いたのは店内放送が大音量で流れていたことだった。テンション高めのラジオっぽい何かがガンガン鳴っており、わたしのテンションも高まるはずが逆に低くなった。空腹と大音量のラジオは相性が悪いと相場が決まっている。わたしはとりあえず目の前に置いてあったメニューを眺めた。

メニューにはカラフルな文字で何やらいろいろと書かれていたが、ひどくお腹がすいていたせいでまともに読めなかった。友人は「日高屋で一番高いラーメン云々」と言っていたけれどこれでは値段を比べることもできやしない。わたしはパッと目についた中華そばに決めた。それだけでは物足りない気がしたので餃子3つも一緒に注文した。

中華そばと餃子を待っている間ぐるりと店内を見渡してみた。客層は中年男性が多く、若い人はわたし以外に見当たらなかった。また、誰かと一緒というよりもひとりで黙々と食事をする人の方が多かった。ラーメンを啜る音と大音量のラジオが店内に響く(余談だが、このとき流れていた曲が今流行りの「うっせえわ」という曲だった。明らかに客層とマッチしていなかったため少しだけニヤニヤしてしまった)。わたしはなぜか緊張し始め、お冷やを3杯も飲み干した。

4杯めのお冷やを口に含もうとしたそのとき、目の前にほかほかと湯気が立つ中華そばと餃子が運ばれてきた。店員さんの軽快な「お待たせしました~」を聞きながら、わたしは割り箸を割った。うまく割れず不気味な形になってしまったがそんなことはもはやどうでもいい。わたしはにこにこしながら中華そばを啜った。

ところで、こういう場面で食レポ風に味を詳細に綴ると描写のうまい大御所作家っぽくなるのは周知の事実であるが、わたしにそんな筆力はない。中華そばも餃子もめちゃくちゃ美味しかった。特にメンマがよかった。がんばってもそのくらいしか書けないのでこれで勘弁していただきたい……わたしはほんとうに作家志望なのか?作家をなめるのもほどほどにしないとあとで痛い目にあうぞ。これだから語彙力のない人間は……

……何の話をしていたんだっけ?

そうそう、極度の空腹状態だったわたしはあっという間に完食した。今振り返ると貪るように食べた、というよりカービィみたいに吸い込んだ気がする。みっともない姿をさらけ出して誠に申し訳ない。

お腹が満たされると眠くなるのでわたしはさっさと帰宅した。帰りの電車でうとうとしつつ、先ほどまでの夢のような時間をにやにやしながら思い返した。美味しかったなあ、また食べに行きたいなあ。外食の練習は大成功だった。

 

さて、ここで友人の発言を思い出してみよう。

日高屋で一番高いラーメンを食うくらいならマジで誤差」 

中華そばの値段は390円、餃子をつけても合計で520円だった。中華そばはどう考えても一番高いラーメンではない。ということは、わたしは友人の助言に半分従わなかったことになる。

また日高屋に行く口実ができた。今度は一番高いラーメンを注文しようと思う。

クイズ

大学のクイズ研究会に所属している。

そういうことを言うと「クイズ番組に出てよ!」などと無邪気に言われるが、わたしにそんな実力はない。まだ始めたばかりだし、そもそも真面目に取り組んでいないのでめちゃくちゃ弱い。熟練のクイズプレイヤーからすればわたしなんてミジンコみたいなものだ。いや、ミジンコにもなれない。わたしは海に不法投棄された汚いビニール袋である……ごめんなさい、いいたとえが思いつきませんでした。とにかく弱いということが伝わればよろしい。

そういうわけでクイズに関してあれこれ語る資格などないので、今回は変化球を投げてみようと思う。

クイズを始めて驚いたこと。それは、どこに行ってもクイズを始めたきっかけを尋ねられることだ。

「なんでクイズを始めたんですか?」

なぜか必ずこの質問をされる。しかも結構きらきらした目で聞かれる。
明確な理由があればいいのだろうけど、わたしみたいに「なんとなく……」という人間は答えに窮する。

わたしがクイズを始めた理由はただ単純におもしろそうだったからなのだが、おそらく質問する側からすればクイズに感じたおもしろさの詳細を知りたいのだろう。クイズのどんなところが魅力的に見えたのか、事細かに教えてほしいのだろう。

というわけで今回はクイズを始めた理由を書こうと思う。うまく説明できる自信がないが、今後同じような質問をされたときのために一旦整理することにした。

皆さんに注意していただきたいのは、このブログの宣伝文句を忘れないでほしいということである。これから大真面目にふざけますが9割フィクションなので怒らないでくださいお願いします。

 

「わたしがクイズを始めたのは、クイズ番組がすきだからです」

そう、わたしがクイズを始めたのはクイズ番組がすきだからである。

最近、テレビをつけると大抵どこかのチャンネルでクイズ番組が放送されている(気がする)。今世間では謎解きとともにクイズが流行っている(気がする)。解答者の答えを見ながら、いち視聴者としてあれは合っているとかこれは違うだろうとか、ぶつぶつ言うのがすきだ。

わたしがクイズ番組のコーナー中で一番すきなのは早押しクイズだ。問題を聞いた時点ではわかっていないのにボタンを押す、そして制限時間内に正しい答えを導き出す、その行為に興味を持った。
答えを脳から絞り出すような表情もすきだ。解答者が必死に考えている顔を見ると「ああ、この人は生きているんだな」と思う。クイズをしている人に対して生きているなんて感想を抱くのもおかしな話だが、なんというか、考えている人はきらきらして見えるのだ。

クイズに興味を持ったのとほぼ同時期に大学のクイズ研究会が発足された。早押しクイズをメインに活動するということだった。これだ!と思ったわたしはすぐに代表と連絡を取った。右も左もわからない汚いビニール袋だけど、代表は快くサークルに入れてくれた。そして現在に至る。

 

「わたしがクイズを始めたのは、創作のためです」

そう、わたしがクイズを始めたのは創作のためである。

このブログを読んでくださっている方々にはとっくにバレていると思うが、わたしは小説を書くのが趣味だ。いつか趣味が仕事になってくれないかなあ、などとぼんやり思っている。

小説を書くという行為は結構むずかしい。皆さんもなんとなく想像できるだろうか。犯罪を犯した人間の心理とかそういう特別なパターンは置いておくとして、基本的に知識が多い方が書けるものの裾野が広がる。「知っていること>>>>>>>書けること」なのである。

プロの小説家はそういった知識を読書で蓄えている。中には圧倒的な読書量のおかげで大学教授なみの知識を持つ小説家もいる。「アイデアとは知識と知識の組み合わせである」とはよく言ったもので、そういう人の書く小説は格別におもしろいと感じる。

わたしはおもしろい小説を書きたい。おもしろい小説を書くために知識を増やしたい。知識を増やしたいからクイズを始めた。

 

「わたしがクイズを始めた理由は、負けたかったからです」

そう、わたしがクイズを始めたのは負けたかったからである。

負けたいってどういうことやねん、と思われた方、あなたの思考回路は正常です。わたしだって負けたいからクイズ始めたって言われたら「は?」って思うもん。

これは説明が必要だ。

わたしは今の大学生活に大変満足している。必修も履修制限も特にないから興味のある授業だけ受けることができる。だから、自分がおもしろいと思った分野だけを勉強することになる。

言い換えると、つらいことも苦手なことも、ようするに負の感情を抱くような物事を、いつでも回避できる状態だということだ。

最初は大学の自由な校風をポジティブに捉えていた。しかし、入学して1年経ったころからだろうか、これでいいのかと悩み始めた。

今のわたしは勝てる勝負しかしていないのではないか。負けたときに感じるあの悔しさを長いこと味わわずにいたら、負けることが怖くなって、この先も負け戦から逃げ続けることになるのではないか。このままいくと最終的に挑戦という行為自体をしなくなるのではないか。

へんてこな悩みだと思われるかもしれない。わたしも贅沢な悩みだと思う。けれど、自由に対する恐怖は日に日に増していくばかりだった。

負けたいと思った。

わたしは何か新しいことを始めることにした。簡単に上達しない、始めてしばらくは負け続けるであろうものを探した。そこでクイズはどうかと思ったのだ。

かなり昔の話だが、YouTubeでとあるクイズ大会の動画を見たことがある。長机に解答者が4人座っている。問題が読まれる。ボタンが押される。解答に対して正誤判定される。これの繰り返しだった。

わたしが注目したのは、解答者の表情だった。個人差はあるけれど、正答であれば口角が上がり、誤答であれば目の奥がぎらりと光った、ように見えた。
特に印象に残ったのは、試合が終わったあと、勝者も敗者もすっきりと笑っていたことだった。その表情がとても美しいと思った。彼らはクイズを愛していて、心の底から楽しんでいるんだとわかった。

わたしはその動画を見てクイズを始めることにした。しばらくは負け続けることになる、けれど、いつかは勝つことを願って。

瞬間的片思い

道端ですれ違う一瞬が美しくあってほしいと思う。

短歌ムック『ねむらない樹』という雑誌がある。書肆侃侃房が出版しており、短歌や対談や短いエッセイなどが収録されている。その雑誌の創刊号に、谷川電話さんという歌人が「瞬間的片思い」という文章を寄稿している。

知らない相手に対する、一瞬で消えてしまう、恋のような感情。ぼくはそれを、「瞬間的片思い」と呼んでいる。それは、恋ではない。でも、ぼくにはその瞬間が、その瞬間のその人が、その瞬間のその人に対する自分の感情が、とても尊く思える。

この文章をきっかけに、わたしも人の顔を見ながら歩くようになった。

事情があってわたしは人間の顔の識別があまりできないのだが、それでも道行く人々を観察するのはおもしろい。たまにハッとするような表情をしている人とすれ違い、次の瞬間には見失っているのに、何か素晴らしいものを見たという印象が強く残ることがある。

今回はそんな道端瞬間的片思いエピソードをドドンと大放出しよう。

……え? おもしろかったけど記事にならなかった話の寄せ集めだろうって? 誰だそんなことを言ったのは。塵も積もればなんとやらというではないか。そういうことは最後まで読んでからわたしに見つからない場所で言いなさい。わかった? ……よしよし、良い返事だね。

 

      *     *     *

 

①春の朝、バスターミナルで

1年前の4月、たしか初旬だったと思う。わたしは家から最寄り駅に向かって歩いていた。

最寄り駅前にはバスターミナルがある。規模はそんなに大きくないけれど、スクールバスやら市内循環やらがひっきりなしに来る。朝のバスターミナルは人が大勢いて、この街にはこんなにも人が住んでいたのか、と毎回驚いてしまう。

その日もわたしは早足でバスターミナルの前を通りすぎようとしていた。

ふと、背後から泣き声が聞こえた。あまりにも大きな声で泣いていたので振り返ってみると、真新しい制服を着た子どもが「行きたくない!」と叫んでいた。
おそらく幼稚園に入ったばかりの子で、送迎バスを待っているのだろう。お母さんがなだめても子どもの声は大きくなるばかりだった。
そうか、行きたくないのか、とわたしは思った。微笑ましいような、ちょっと可哀想なような、複雑な感情がわたしの中を渦巻く。何か声をかけてあげたかったけれど、恥ずかしさの方が勝って躊躇した。ただじっと、子どもが泣き叫ぶ姿を見つめていた。

親子に近づくおばあさんに気づいたのは、その直後だった。

おばあさんは泣いている子どもに微笑み、小さな声で何かつぶやいた。わたしには聞き取れなかったけれど、きっと優しいことばだったのだろう。子どもはぴたりと泣き止んで、不思議そうな目でおばあさんを見た。おばあさんはポケットから黄色いニコちゃんシールを取り出して子どもに渡した。子どもは潤んだ目をしながらも表情をぱあっと明るくして、笑った。

わたしはふたりの姿を後ろから眺めながら、なんて美しい光景なのだろうと思った。子どもとおばあさんの周りだけ朝日が降り注いでいるみたいに見えた。いつの間にか周囲の音を遮断していたわたしの耳は、徐々に街の生活音を取り込み始めた。電車がホームに滑り込む音を聞いて、わたしはやっとその場から動き出した。

 

②初夏の朝、散歩中

緊急事態宣言中で外出を避けていた頃のことだった。

当時のわたしは、いや、わたしだけじゃなくかなり多くの人間が、疲れていた。人に会えないストレスはこんなにも精神を蝕むのか、という驚きを全国民が共有した日々だったと思う。テレビをつければウイルスに関する情報が飛び交い、それらのうち何を信じればいいのかわからなかった。当時の日記を読み返すと、感情がよくわからなくなる。

わたしはそんな情報の海の中で、人が密集していなければ散歩程度の外出はしてもいいらしいという知見を得た。明らかに運動不足だし、マスク越しとはいえ外の空気を吸いたかった。

玄関を出てすぐに泣きたくなった。気軽に外出していた頃とは空気が違う。それは人がまばらなせいでもあるし、季節が進んでいたせいでもある。街中のあらゆる場所から生活の気配が消え、それでもツツジは健気に咲く。その事実が何だかすごく切なく思えた。

わたしが歩いた川沿いの道は、朝ということもあって人はほとんどいなかった。たまにマスクをしたランナーとすれ違い、その呼吸音がやけに耳に残った。わたしにとって走ることは、歩くことは、新鮮な空気を吸い込むことが楽しいと思うのだが、ランナーはどうなんだろうか。マスクを外して走りたいと思っているのだろうか。

歩き疲れたわたしは川の近くのベンチに腰かけた。その場所からは広大な原っぱが見えた。

周りを見渡してみたら、少し離れたところに家族が見えた。小学生くらいの男の子ふたりと、お父さんとお母さん。男の子が必死に動いているなと思ったら、その手は虫取り網を握っていた。
視線の先には蝶がひらひらと舞う。男の子は虫取り網を無造作に振り回す。見かねたお父さんが男の子の手を取って一緒に蝶を探す。ふたりで網を振り、同時に歓声が聞こえる。お母さんが手を叩いている。ここから顔は見えないけれど、きっとみんな笑っている。

全然知らない家族を眺めていたら、またしても泣きたくなった。そこには平和があった。わたしが見たかった平和だった。

 

③冬の夜、駅から自宅へ帰る途中で

ついこの前、最寄り駅の近くを歩いていたとき、同じくらいのスピードで歩く女子高生を見かけた。彼女はスマホを耳に当て、誰かと電話していた。声が弾んでいた。恋人と話しているんだろうな、と何となく想像がついて、こっちまでにこにこしてしまった。

何やら相づちを打っていた彼女は、「じゃあまたね」と言いながらスマホを耳から離した。

その瞬間の表情が、忘れられない。

彼女はため息をつきながらスマホの画面を暗くした。マスクを引き剥がすように取り、ゆっくりまぶたを閉じ、涙を一粒こぼしたと思ったら笑っていた。強がって、というよりも、寂しさを紛らわせるような笑みだった。
一部始終を見ていたわたしの頭の中に、どうしても生きてる、というフレーズがパッと浮かんだ。何があっても生きていくしかない、というような、諦めに似た決意みたいな感情。彼女の横顔を見て美しいなと思った。

彼女は一度俯いたあと、まっすぐ前を見て歩き始めた。口元は笑ったままだったけれど、その印象は変わった。うまく言い表せないけれど、強さを感じた。わたしの人生はわたしのものよ、誰にも邪魔されないわ、とでも言いたげな、無敵感を帯びた笑みだった。ローファーでカツカツと歩く姿がとてもかっこよく、ドラマのワンシーンみたいだった。

勝手に感動したわたしは彼女の後ろ姿にエールを送った。全然知らない人だけど幸せになってほしいと思った。

 

     *     *     *

 

瞬間的片思いはつづく。