気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

クイズ

大学のクイズ研究会に所属している。

そういうことを言うと「クイズ番組に出てよ!」などと無邪気に言われるが、わたしにそんな実力はない。まだ始めたばかりだし、そもそも真面目に取り組んでいないのでめちゃくちゃ弱い。熟練のクイズプレイヤーからすればわたしなんてミジンコみたいなものだ。いや、ミジンコにもなれない。わたしは海に不法投棄された汚いビニール袋である……ごめんなさい、いいたとえが思いつきませんでした。とにかく弱いということが伝わればよろしい。

そういうわけでクイズに関してあれこれ語る資格などないので、今回は変化球を投げてみようと思う。

クイズを始めて驚いたこと。それは、どこに行ってもクイズを始めたきっかけを尋ねられることだ。

「なんでクイズを始めたんですか?」

なぜか必ずこの質問をされる。しかも結構きらきらした目で聞かれる。
明確な理由があればいいのだろうけど、わたしみたいに「なんとなく……」という人間は答えに窮する。

わたしがクイズを始めた理由はただ単純におもしろそうだったからなのだが、おそらく質問する側からすればクイズに感じたおもしろさの詳細を知りたいのだろう。クイズのどんなところが魅力的に見えたのか、事細かに教えてほしいのだろう。

というわけで今回はクイズを始めた理由を書こうと思う。うまく説明できる自信がないが、今後同じような質問をされたときのために一旦整理することにした。

皆さんに注意していただきたいのは、このブログの宣伝文句を忘れないでほしいということである。これから大真面目にふざけますが9割フィクションなので怒らないでくださいお願いします。

 

「わたしがクイズを始めたのは、クイズ番組がすきだからです」

そう、わたしがクイズを始めたのはクイズ番組がすきだからである。

最近、テレビをつけると大抵どこかのチャンネルでクイズ番組が放送されている(気がする)。今世間では謎解きとともにクイズが流行っている(気がする)。解答者の答えを見ながら、いち視聴者としてあれは合っているとかこれは違うだろうとか、ぶつぶつ言うのがすきだ。

わたしがクイズ番組のコーナー中で一番すきなのは早押しクイズだ。問題を聞いた時点ではわかっていないのにボタンを押す、そして制限時間内に正しい答えを導き出す、その行為に興味を持った。
答えを脳から絞り出すような表情もすきだ。解答者が必死に考えている顔を見ると「ああ、この人は生きているんだな」と思う。クイズをしている人に対して生きているなんて感想を抱くのもおかしな話だが、なんというか、考えている人はきらきらして見えるのだ。

クイズに興味を持ったのとほぼ同時期に大学のクイズ研究会が発足された。早押しクイズをメインに活動するということだった。これだ!と思ったわたしはすぐに代表と連絡を取った。右も左もわからない汚いビニール袋だけど、代表は快くサークルに入れてくれた。そして現在に至る。

 

「わたしがクイズを始めたのは、創作のためです」

そう、わたしがクイズを始めたのは創作のためである。

このブログを読んでくださっている方々にはとっくにバレていると思うが、わたしは小説を書くのが趣味だ。いつか趣味が仕事になってくれないかなあ、などとぼんやり思っている。

小説を書くという行為は結構むずかしい。皆さんもなんとなく想像できるだろうか。犯罪を犯した人間の心理とかそういう特別なパターンは置いておくとして、基本的に知識が多い方が書けるものの裾野が広がる。「知っていること>>>>>>>書けること」なのである。

プロの小説家はそういった知識を読書で蓄えている。中には圧倒的な読書量のおかげで大学教授なみの知識を持つ小説家もいる。「アイデアとは知識と知識の組み合わせである」とはよく言ったもので、そういう人の書く小説は格別におもしろいと感じる。

わたしはおもしろい小説を書きたい。おもしろい小説を書くために知識を増やしたい。知識を増やしたいからクイズを始めた。

 

「わたしがクイズを始めた理由は、負けたかったからです」

そう、わたしがクイズを始めたのは負けたかったからである。

負けたいってどういうことやねん、と思われた方、あなたの思考回路は正常です。わたしだって負けたいからクイズ始めたって言われたら「は?」って思うもん。

これは説明が必要だ。

わたしは今の大学生活に大変満足している。必修も履修制限も特にないから興味のある授業だけ受けることができる。だから、自分がおもしろいと思った分野だけを勉強することになる。

言い換えると、つらいことも苦手なことも、ようするに負の感情を抱くような物事を、いつでも回避できる状態だということだ。

最初は大学の自由な校風をポジティブに捉えていた。しかし、入学して1年経ったころからだろうか、これでいいのかと悩み始めた。

今のわたしは勝てる勝負しかしていないのではないか。負けたときに感じるあの悔しさを長いこと味わわずにいたら、負けることが怖くなって、この先も負け戦から逃げ続けることになるのではないか。このままいくと最終的に挑戦という行為自体をしなくなるのではないか。

へんてこな悩みだと思われるかもしれない。わたしも贅沢な悩みだと思う。けれど、自由に対する恐怖は日に日に増していくばかりだった。

負けたいと思った。

わたしは何か新しいことを始めることにした。簡単に上達しない、始めてしばらくは負け続けるであろうものを探した。そこでクイズはどうかと思ったのだ。

かなり昔の話だが、YouTubeでとあるクイズ大会の動画を見たことがある。長机に解答者が4人座っている。問題が読まれる。ボタンが押される。解答に対して正誤判定される。これの繰り返しだった。

わたしが注目したのは、解答者の表情だった。個人差はあるけれど、正答であれば口角が上がり、誤答であれば目の奥がぎらりと光った、ように見えた。
特に印象に残ったのは、試合が終わったあと、勝者も敗者もすっきりと笑っていたことだった。その表情がとても美しいと思った。彼らはクイズを愛していて、心の底から楽しんでいるんだとわかった。

わたしはその動画を見てクイズを始めることにした。しばらくは負け続けることになる、けれど、いつかは勝つことを願って。