気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

美容院

美容院に対して苦手意識がある。

理由はよくわからないけれど昔から苦手だった。鏡に映っている自分を見続けるのも、美容師さんに話しかけられるのも、目の前に置かれたファッション誌を興味ありげに読むのも、何となく慣れない上にどこか居心地の悪さを感じる。こんなことを感じるのはわたしがおしゃれではないからだろうか。

特に苦手なのはシャンプーである。

鏡の前から解放されるのはいいが、今度は謎の布によって視界が遮られる。美容師さんはガシガシと髪を洗ってくれる。まるで長年洗われていなかった犬とトリマーの関係のようだと思い、口角が2ミリぐらい上がる。布で隠されているとはいえニヤニヤしていたらすぐにバレるだろうから、わたしは一瞬で真顔に戻る。

そうこうしているうちにこの世で最も難しい質問を投げかけられるのだ。

「どこか洗い足りない場所はございませんか」

この質問は毎回必ず聞かれるが、何と答えればいいのか未だにわからない。洗い足りているのかなんて自分でもわからないし、もしもここを洗ってほしいと思ったとして、どうやってそのことを伝えればいいのかわからない。わからないことだらけで困る。「右側側頭葉の辺りをお願いします」なんて言ってもドン引きされるだろう。

そんなわけでわたしはいつも間抜けな声で「大丈夫でーす」と言うが、一度でいいから「どこどこをもうちょっと洗ってください」と言ってみたいと思っていた。

 

     *     *     *

 

先日、3ヶ月ぶりに美容院に行った。

わたしはロングヘアで、髪を染めておらず、これからさらに伸ばすつもりでいるから、3、4ヶ月に一度に行くだけで済む。

美容師さんの助言にちゃんと従っていたつもりだったけれど、わたしの手入れが悪いのか、髪は3ヶ月でボサボサのバサバサになってしまった。しかも美容院に行く2日前に写真撮影の予定が入り、応急処置で自分で前髪を切るという謎の行動をした。怒られはしないだろうが呆れられることは間違いない。

わたしはあれこれ勝手に妄想してため息をついた。そしてその息を即座に吸い込んだ。小学生の頃、担任に「時田さん、ため息をついたらすぐに吸いなさい。幸せが逃げるわよ」と叩き込まれたせいである。ばかばかしいことこの上ないが長年の習慣なので変えられない。何の話だ。

……閑話休題

とにかく憂鬱な気分で美容院の扉を開けた。ニコニコした美容師さんに迎えられ、特に何も入っていない荷物を預ける。自意識過剰なわたしはカバンを渡したときに「いや軽っ!」と思われていないかヒヤヒヤした。言うまでもないがカバンが軽くても何も問題はない。

そんなわたしの気持ちなどどうでもいい。わたしは席に案内され、どんな髪型にしてほしいか美容師さんに気持ちを伝えた。

「これからも伸ばしたいので長さは変えずに見た目を整えるくらいにしてください。前髪は眉毛の下になるように切ってください」

ここ数年ずっとこの台詞しか言っていない。もう暗記してしまったので口からすらすらと出てくる。おそらく美容師さんにはまだ伸ばすんかい!と思われているが、残念ながらわたしの目標に全然達していないので、あと2年は同じ台詞を唱えることになるだろう。ここまで来ると一種の早口言葉のようだ。

長さを変えないのでカットはすぐに終わった。
シャンプー台に移動した後、膝掛けを渡され、顔に謎の布を乗せられた。水からお湯に変わっていく音を聞きながら、わたしは今日こそ「どこどこを洗ってください」と言おうと決心した。特にどこもかゆくなくても、である。美容師さんを実験台にするようでいささか申し訳ないが、わたしは美容師さんの反応を見てみたかった。興味本位というやつだ。

「お湯が熱かったら教えてくださいね」と言われ、洗髪が始まった。わたしは髪の量が多いのでガシガシとかなり大胆に洗われる。これで「洗い足りない場所、あります!」などと宣言しようものなら美容師さんもびっくりするだろう。しかし、今日のわたしはすでに洗い足りない場所を“設定”してある。ここで引き返すわけにはいかない。そんなことを考えていたら口角が2ミリくらい上がっていたので瞬時に真顔に戻した。

何だか今日の美容院は楽しい。普段からこういうことを考えながら髪を切ってもらえば、苦手意識はなくなるかもしれない。解決策を思いついたわたしは、意外と簡単なことだったな、と思った。

しばらくして再びお湯の音が聞こえた。美容院のシャワーの音はいつ聞いても心地よくて、わたしは目を閉じてうっとりした。

……ん?

例の質問は? なし?

うっすらと目を開けると、美容師さんは何食わぬ顔で泡を流していた。

洗い足りない場所、全然聞かれなかった!!!!

わたしはひそかに衝撃を受けた。
そりゃあ、たしかにあの質問には毎回困っていたけど、聞かれなかったら聞かれなかったで寂しいではないか。ここまできたら常套句みたいなものでしょう? どうして聞いてくれないの? せっかく楽しみにしてたのに!

混乱しているわたしのことなどつゆ知らず、美容師さんはいつの間にかトリートメントも終えてタオルで髪を拭いていた。

例の質問をされなかっただけで一気にテンションが下がったわたしは、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。気がついたときには美容院を出て、表の通りをトボトボ歩いていた。夕方の風は冷たく、吐く息は白かった。

ちょっとした計画が失敗してこの落ち込みようである。帰宅したわたしは速攻で冷凍庫を開け、お気に入りのチョコレートアイスを貪るように食べた。こうなったら美味しいもので自分の機嫌を取るしかない。わたしの長所は立ち直りが異様に早いことであり、最後の一口を飲み込んだときには元気を取り戻した。

よく考えたら、今日を最後に永遠に美容院に行かないわけではない。次に美容院に行ったとき、また例の質問をされるかもしれない。今後いくらでもチャンスはあるのだ。わたしはわたしを励ました。

……でも、やっぱり恥ずかしいから、もういいかな。

マグカップ

高校時代、わたしは文芸部に所属していた。所属していたという言い方は正確ではなくて、入りたい部活がなかったから同級生と一緒に立ち上げた、と言ったほうが正しい。わたしたちは図書室で黙々とキーボードを叩き、ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら物語に満たない何かを創っていた。

先日、パソコンの中身を整理していたら、文化祭の部誌用に書いた掌編小説が見つかった。部誌は無料だったせいかかなりの量を捌いたと記憶している。丁寧に感想をくれた先生もいた。わたしはそのときの何とも形容しがたい嬉しさをもう一度味わいたくて、今もこうしてブログを書いている節がある。

時が経って読み返してみると稚拙だなあと思う。けれど、たしかに、あのときでなければ書けなかった物語だとも思う。

アスタリスクから先の掌編小説はほぼ原文のままになっている。
何勝手に公開してるんだ、と当時のわたしは憤るだろうか。それとも、より多くの人に読んでもらえて嬉しい、と頬を赤らめるだろうか。

どちらにしても、今のわたしには知ったこっちゃない。 

 

     *     *     *

 

ココアが好きだった。ほら、何というか、あの感じが好きなんだ。思い出がたくさんつまったマグカップを、僕は見つめていた。

三月は卒業シーズンだ。今までの卒業式後の僕は、何となく暇を持て余していた。というか、何をしたらいいのかよくわからなくて何もできなかった、というほうが正しい。だらだらと怠惰な生活をして、母によく睨まれた。

しかし、今回はわけが違う。東京の大学に進学するため、上京しなければならない。上京というと聞こえがいいが、要は引越しだ。引越し……僕は自然と耳をふさぎたくなった。

僕は荷造りが苦手だ。どうしたって全てのものを入れたくなってしまう。前に引越した時も、今後見向きもしないであろうぬいぐるみを持ってきた。どうやら取捨選択という能力は僕の脳に付属していないらしい。だからといって誰かに助けを求めるほど子どもでもないので、他の人よりも時間をかけてダンボール箱につめていった。

マグカップは、押し入れの中の箱から見つけた。冬物の衣類を探していた途中、その箱の中身が気になって、作業を中断して箱を開けたのだ。細かい気品のある花柄の箱に、全く見覚えがなかったので僕は少しどきどきしながら箱を開けた。

そして、僕は思い出した。このマグカップは、忘れてはいけない宝物だったということに。

 

前に住んでいた街に、小さなカフェがあった。「ツリーハウス」という名前だったが、それは店主の琴子さんがツリーハウスに憧れていたからで、実際には住宅街の端にあった。

「ツリーハウス」は、たしか僕が幼稚園に通っていた頃に開店した店だ。初めて店に来たとき、僕はココアを注文した。はっきりと覚えている。大きなマグカップに甘い生クリームと苦めのココアが入っていて驚いて、その美味しさにまた驚いたのだ。おかわりしたいと泣いてぐずったら、琴子さんは僕に飴玉をくれた。

『小さなお客様には飴玉をさしあげましょう』――というのが琴子さんの常套句だということには、かなり後になって気づいた。

琴子さんは子どもが好きだった。店内には子ども用に絵本が置いてあって、その中には琴子さん自ら制作したものもあった。額縁に飾ってある少女の絵も、琴子さんが描いたらしい。どこか遠くを見つめる白いワンピース姿の少女に、幼い僕も魅了された。

月日が流れ、僕が小学生になり、中学生になっても、ときどき「ツリーハウス」でココアを飲むという習慣は変わらなかった。むしろ、塾に行く途中に「ツリーハウス」があったので、頻度は増えていたかもしれない。

琴子さんは、学校で嫌なことがあった日はすぐに見破って、何かあったでしょう、と声をかけてくれた。僕をカウンター席に招き、話を聞いてくれた。何が解決するわけではなくても、琴子さんに打ち明けるだけで心が軽くなった。魔法使いのような人だと思った。

琴子さんは僕にとってどの友だちよりも信頼できるひとだった。『友だち』なんて言葉で言い表せられないほど、だいすきだった。

そんなある日、父に地方に転勤の話が出た。僕たち一家は当然のように引越しすることになった。

僕は琴子さんに、何も言い出せなかった。言おう言おうと思っているうちに、「ツリーハウス」に行ける最後の日になってしまった。

僕はいつものようにココアを注文し、カウンター席で琴子さんと世間話をした。本当はどこか上の空だったのだけど、悟られないようにした。

いつ言おうと模索しているうちに琴子さんから、プレゼントがあるの、と声をかけられた。ちょっと待っててね、と言い残して、琴子さんは調理場へ行ってしまった。壁掛け時計の秒針が、店内で唯一音を鳴らしていた。

帰ってきたとき、琴子さんが手にしていたものは、マグカップだった。いつもココアをいれてくれたマグカップと同じものだった。

「卒業記念に、どうぞ」

琴子さんは困ったように笑った。

そうか、琴子さんは、すべてわかっていたのだ。わかっていて、何も言わなかったのだ。

いつの間にか、僕は泣いていた。「またいつかいらっしゃい」と琴子さんはやさしく言った。

 

ココアが好きだった。ほら、何というか、あの感じが好きなんだ。思い出がたくさんつまったマグカップを見つめて、僕は上京する前に琴子さんに会いにいくことを決めた。

 

先輩

人生において忘れられない人が何人かいる。多くは心の底から尊敬している人たちで、良いエピソードばかり印象に残っている。

しかし、今日ここに書きたいのは、そういう人たちとはちょっと違う、高校時代の先輩の話だ。

わたしと彼は顔を合わせれば罵倒しあうという変な関係だった。だから仲が良かったのかと問われると素直に頷くことができない。けれど、先輩は確かに忘れられない人で、おそらくこれから先何度も思い出すことになるだろう。

 

気づけばあれから5年が経った。

実在の人物を題材として記事を書くのは少しためらったけれど、その辺はもう時効ということで。

 

     *     *     *

 

先輩と出会ったのは、高校に入学して間もない頃だった。

そのときわたしのクラスは2時間続きの書道の間の休み時間だった。教室のあちこちから墨汁の匂いがする中で、わたしは後ろの席の女子と話していた。まだそんなにお互いのことを知らなかったので、どこか探り合うような雰囲気があった。

何となくこの子とは話が合わないかもしれないと感じ始めた頃、教室の後ろの方で大きな音がした。男子がいきなり取っ組み合いを始めたのである。

わたしは唖然とした。ここ、高校じゃなかったっけ。高校生でも教室の後ろで暴れるのか。空気中の墨汁の匂いがかき混ぜられていくのを感じた。

最初は馬鹿だなあと呆れていたが、その瞬間ふと、墨汁が床にこぼれたら後始末が大変だと思った。男子の動きが止まる気配はなかった。

これ、止めるべきじゃない?

頭の中で考えるとほぼ同時にわたしは怒鳴っていた。

「お前らうるせえ!出て行け!」

今度は男子が唖然とする番だった。教室中がしんと静まり返り、視線はわたしに集まった。

それだけでも十分効果はあったはずだが、わたしの怒りは収まりきらなかった。気づけばわたしは掃除用具が入ったロッカーからホウキを取り出して男子に接近し、槍で獣を退治するかのごとくつついていた。

男子は「ごめん、ごめんってば!」と言いながら一目散に逃げていった。簡単に逃げるなら最初から暴れないでほしい。満足したわたしはホウキをきちんと片づけて席に戻った。さっきまで話していた女子は「時田さんすごいねえ」と半分引きつった顔で言った。  

 

授業を終えてホームルームの時間になると、担任がニヤニヤ笑いながら教室に入ってきた。何がそんなにおかしいんだろうと思っていたら、「時田は放課後職員室に来なさい」と言われた。教室は変な空気に包まれ、わたしは下を向いた。心当たりはもちろんあった。

確かに暴れていた男子をホウキでつついたのはちょっとやりすぎだったかもしれない。怒られるんだろうな、嫌だなと思いながら職員室に行くと、開口一番こう言われた。

「時田、お前よくやったな! グッジョブ!」

……ん?

怒られる気でいたわたしは怪訝な顔をした。今、グッジョブって言われた?

「いやあ、あのとき廊下から見てたんだけど、ヒグマを怒鳴りつけたやつ初めて見たよ。あいつ後輩に怒られると思ってなかったんだろうな、完璧にひるんでて俺も笑っちまった」

担任はわたしの反応などお構いなしに喋り続ける。少し上機嫌なようにも見えた。

担任が言うには、教室の後方で取っ組み合いをしていたうちのひとりがヒグマという3年生らしい。彼はいわゆるヤンキーで、事あるごとにトラブルを起こし、先生たちから目を付けられているらしい。担任が呼び出したのは「今後ヒグマに嫌がらせをされるかもしれないから何かあったら相談してね」ということのようだった。

……嫌がらせをされるかもしれないから何かあったら相談してね?

ここに来てわたしはやっと事の重大さに気づいた。意図せずとんでもない先輩に絡んでしまったのだ。全身から血の気が引いていく。その一方で、なぜか『坊っちゃん』のあの有名な書き出しを思い出した。うちの親は無鉄砲ではないが、わたしは完全に無鉄砲だった。

 

翌日、わたしはいつも通り学校に登校した。先輩に目を付けられたかもしれないとはいえ、学年も違うし、接点はほとんどないはずである。わたしは油断していた。

上履きに履き替え、階段を上り、教室を目指して廊下を歩く。その時点で変わったことは特になかった、と今でも思う。

突然、廊下にいた同級生たちが何かを避けるように左右に割れていった。学園ドラマでよく見るあの状態である。わたしは何だろうと訝りつつもそのまま歩き続けた。

廊下の向こう側から、制服を着崩した男がこちらに向かって歩いているのが見えた。オーラが違うというか、明らかに威圧感のある歩き方で、廊下はあっという間にただならぬ空気に満ちた。

よく見るとその男はヒグマ先輩だった。

先輩はわたしの姿が視界に入った途端、背筋をビシッと正した。そして廊下中に響き渡る声で、

「時田さん、おはようございます!」

と叫んだ。

わたしは何が起きたのか全く理解できなかった。

まず、先輩はなぜわたしの名前を知っているんだろう、とぼんやり考えてから、もしかして担任が言っていたのはこのことだろうか、と気づいた。でも、大声で挨拶をされるのを嫌がらせと解釈するのはいくらなんでも無理がある気がした。

混乱したわたしは、とりあえずにっこりと笑いながら、「おはようございます」と返した。先輩は一瞬面食らったような表情をしてから、またしても大きな声で「失礼します!」と言ってすれ違った。

その後、一部始終を聞いていた同じクラスの男子が

「姐さんマジパネエっす」

と笑いながら近寄ってきたことによって、わたしはようやく事の重大さを知ったのである。

 

     *     *     *

 

複数のエピソードを詰め込むつもりが、出会いの話だけでこれだけの量になってしまった。今日はここで一旦締めるとしよう。

先輩とのくだらない思い出話はまだまだある。また気が向いたらつづく、かもしれない。

馬鹿と常識

「馬鹿は風邪をひかないって言うけどさ、馬鹿は自分が風邪をひいてるって気づけないだけだと思う、なんたって馬鹿だから」

中学のクラスメイトのまどかちゃんがこう言ったとき、世界がぐるんと反転して見えた。真偽はともかく、その衝撃たるやすさまじかった。そうか、馬鹿でも風邪はひくのか。ただ気づいてないだけなのか。そして、それはわたしも当てはまってないか?

わたしは勉強ができない系の馬鹿ではない(と自負している)が、生活ができない系の馬鹿だと思う。

この事実はなんとなく自覚していたけれど、この前「生ハムを食パンと一緒に焼いたら美味しいかもしれない」と言ってトースターで焼き、最終的にただのハムを生み出したときに、ああわたしは馬鹿なんだと痛感した。誰にも見られなかったものの、地味に恥ずかしかった。穴があったら入りたいとはこういうことだろう。

わたしだって真っ当に生きたいという気持ちはある。ただ、その気持ちで上手くいったためしがない。

みんなはどこで常識を身につけたのだろうか。常識を教えてくれる学校でもあるのだろうか。「生ハムを焼いたらただのハムになりますよ」などと手取り足取り教えられたのだろうか。

疑問はどんどん膨らんでいく。先日再契約したスマホで「常識 教える 学校」と検索してみた。自分でも意味不明なことを調べているとはうすうす感じていたが、インターネットには何かしらの情報があると思った。

予感は的中した。「世間知らずなあなたに常識教えます!」と真っ赤な文字で書かれたカルチャースクールのサイトを見つけ出したのだ。
宣伝文句によれば「常識が面白いほど身につく」らしい。怪しい匂いしかしないが、わたしが求めていたのはこれだった。わたしはすぐさま見学予約をし、隣町にある「コモン・ノウレッジ・カルチャースクール」を訪ねることになった。

コモン・ノウレッジ・カルチャースクールは、古びたアパートの1室にあった。なんだか今にも倒壊しそうな建物で、この時点でわたしは一抹の不安を感じた。しかし、ここまで来たら行くしかない、という謎の見栄もあり、わたしは部屋の扉をノックした。

中から出てきたのは、アパートに似つかわしくない、品の良いマダムだった。長い白髪を結い上げた三つ編みと、ラベンダー色のニットがとても上品だった。なぜこんなところにいるんだろう、ていうかこの人が先生なんだろうか、などの疑問は口に出さず、とりあえず挨拶を交わして部屋に入った。

部屋の中は整理整頓されていたので古いわりにきれいだった。部屋の中央に丸いテーブルとイス2つがドカっと置いてあり、どうやらそこで指導を受けるようだった。

え、マンツーマンでやるの?

勝手に学校の教室みたいな環境を思い描いていたわたしは身動きが取れなくなった。心の準備が全くできていない。そんなわたしを知ってか知らずか、マダムはにこにこしながらイスに座るように促してくる。いつまでも突っ立っているわけにもいかず、わたしは腰を下ろした。相変わらず頭の中は真っ白のままだった。

「初めに、時田さんの現在の状況を伺いますね。今どんなことに困ってらっしゃるんですか?」

マダムは穏やかに尋ねてきた。わたしは生ハム事件を説明し、常識を身につけたいという話をした。笑われるかもしれないと内心ビクビクしていたけれど、マダムは特に反応を見せなかった。さすがプロ。こんなエピソードくらいじゃ動じないようだ。

「そうですか、常識を身につけたいというよりドジを治したいように聞こえますが、ご自身ではどう思われますか?」

「そう……かもしれないです。とにかく二度と生ハムを焼いたりしないようになりたいです」

いつの間にか話が常識から生ハムに移行しているが、このときのわたしはつじつまが合わないことに全く気づいていない。

マダムはわかりました、と言いながら電卓を取り出した。代わり映えのしない、事務用の電卓だった。
わたしの脳内は一瞬にして?で満たされた。マダムはにこやかに説明を始めた。

「今からあなたが次にやらかすドジを予言します。あなたはお金の計算を間違えてスーパーの会計でお金が足りなくなります。その危機を回避するために、一緒に電卓での計算の仕方を学びましょう」

予言もするんだこの人、とわたしは驚愕した。しかもいかにもわたしがやりそうなことをピンポイントで予言してくるではないか。なんとなくここは素直に従ったほうが良いような気がしてきた。今までの不信感を捨てて、わたしは言われたとおり黙々と電卓を叩くことにした。

しかし、いくら電卓で計算しても、一向に計算間違いをしなかった。

またしても不信感が募ってきたわたしに、マダムは衝撃の一言を放った。

「あら、全然間違えないわね。おかしいな」

おかしいな、ってどういうことだよ。

やはりサイトを閲覧した時点で怪しいと思うべきだったのだろうか。
部屋に流れる沈黙に耐えきれず、わたしは「この後予定があるからこの辺で失礼します」と言って逃げた。もちろんそんな予定はない。マダムは何も言わなかった。

アパートを後にしたわたしは、この数時間は何だったんだろうとむなしくなりながら夕暮れの道を歩いた。家々の影がやけに大きくて不気味だった。

住宅街の角を曲がる瞬間、すさまじい轟音が辺りを包み込んだ。驚いて後ろを振り返ると、さっきまであったはずのあのアパートが跡形もなく消えていた。とんでもない音だったのに誰も家の外に出てこない。わたしは、これは悪夢だったんだと気づいて、少しだけホッとした。

それにしても、冬の夕方は寒い。この道を歩いている途中だけでくしゃみを三連発したし、風邪をひいたかもしれない。今夜は鍋にしようかな、と思い立ったわたしは生姜とネギを買いにスーパーに寄った。

その後のことは、まあ何というか、ご想像の通りである。

伝書鳩

わたしが初めてスマホを持ったのは2017年頃のことだ。

当時わたしは高校生だったが、クラスメイトのほとんどがスマホを持っていた。ガラケーを使っていたのはわたしだけで、友人はわたしを縄文時代の人間のような扱いをした。ガラケーイコール縄文土器というのもかなり大袈裟だが、あまりにもしつこく言われるので、ガラケーはわたしのアイデンティティのようになっていった。

そのガラケーとは中学時代からの付き合いだったが、ある日突然バッテリーがおかしくなって充電できなくなってしまった。わたしはアイデンティティを捨て、スマホに買い換えることにした。
友人は「お前の魅力がひとつ減った」と言わんばかりに罵ってきたけれど、わたしもLINEが使えるようになったことに気づくと、手のひらを返したように「よくやった」と褒め称えた。今までLINEで済む話をいちいちメールで送ってもらっていたので、その手間が省けたのはたしかによかったと思う。

こうしてわたしも現代人の仲間入りを果たしましたとさ、めでたしめでたし……となっていたらこの文章は生まれなかった。本題はここからである。

スマホを使い始めるまで気づかなかったのだが、世の中は情報に溢れていた。スマホひとつで膨大な量の情報が手に入る。おまけにSNSなんてものも普及していて、顔も知らない人間と簡単に繋がることができるようになっていた。縄文人もびっくりである。

最初はおもしろがっていろいろなツールに手を出したけれど、時間が経つにつれて、疲れるようになってきた。膨大な情報量に脳がついていけなくなった、といったところだろうか。スマホを手放したい、もっとのんびりと生きたいと考え方が変化してきた。

ただ、今からガラケーに戻るのも気が進まなかった。
とにかく画面から離れたい、しかし何らかの連絡手段は残しておきたい、そんなわがままを許してくれるものはないか……
貧相な知恵をウンウン絞っていると、ある考えがわたしの頭をよぎった。

伝書鳩

そうだ、伝書鳩という手がある。鳩を飼って手紙を運んでもらおう。

わたしはすぐさま図書館に出向いた。無論スマホWikipediaか何かを見ればすぐにわかることだが、もう電子の海に飛び込む体力も持ち合わせていなかった。司書の方に「伝書鳩について調べたい」と声をかけ、関連する本を調べてもらい、1冊ずつ読んでいく。皮肉なことにスマホを手放したので読む時間は腐るほどあった。
そんなわけで、数日後、わたしは伝書鳩について異様に詳しくなった。これからはわたしのことを「伝書鳩のエキスパート」とでも呼んでいただきたい。

それからさらに数ヶ月後、わたしはさまざまな手段を駆使して伝書鳩を手に入れた。
詳細は省くが、伝書鳩を所有するには脚環を付けたりワクチンを接種したりしなければならず、思ったよりも手間がかかった。まあこういうことは想定済みだったので途中で投げ出すことはなかったけれど、伝書鳩のエキスパートでなければ発狂したかもしれない。

ほとんど使っていなかったスマホを正式に解約したわたしは、晴れ晴れとした気持ちで伝書鳩ライフをスタートしようとした。
早速友人に事情を話し、住所を聞き出した。伝書鳩はふつう200km以内の範囲で利用されるという。友人はそんなに離れた場所に住んでいないので問題ないだろう。

友人はそれぞれ、

「何を言っているのかまったくわからない」
ガラケーの方がまだマシだった」
「ていうか伝書鳩って何?聞いたことないんですけど」

という反応を見せた。伝書鳩を知らないのは驚いたが、そのうち彼女達も伝書鳩を欲するようになるだろう。今に見ていろ。

時代遅れだと罵倒してきた友人達を後悔させてやる!と息巻いていたら、ふと、重大な欠陥に気がついた。

伝書鳩というのは帰巣本能を利用している。
つまり、伝書鳩を往復させるには、わたしだけでなく受け取る方にも鳩舎が必要なのだ。

当たり前だが友人の家に鳩舎はない。これじゃ連絡手段として伝書鳩が使えないではないか!なぜもっと早く気づかなかったのだろう。滑稽なことに、後悔するのはわたしの方だったのだ。

あまりの落ち込みように友人もオロオロし始めた。慰めとして大好物の白いブラックサンダーを渡されたが、それだけでは立ち直れないと喚いた。それでも食欲には負けたわたしは、白いブラックサンダーをもぐもぐしながら泣いた。友人は安心したらしく、それぞれの席へと戻っていった。

……というわけで、伝書鳩作戦は失敗に終わった。誠に残念である。
しかし鳩に罪はないので、伝書鳩になる予定だったカワラバトちゃんには我が家のペットになってもらった。今も鳩は我が家のリビングを闊歩し、ときどき窓の外を羨ましそうに眺めている。

仁義なき親知らずとの戦い 第二戦

〜前回までのあらすじ〜

hirunelover.hatenablog.com

ひっそりと歯茎に身を隠していた親知らずちゃん。今までうんともすんとも言わない優等生だったのに、ある日急に自己主張を覚え、「俺を無視すんな!」とかなんとか騒ぎ始めた!その痛みに負けたわたしは半泣き状態で歯科医院の予約を入れ、しばらく夜しか眠れない日々を送っていた……。

   *   *   *

11月某日、わたしはかかりつけの歯科医院の前にいた。予約時間まであと5分、完璧なタイムスケジュールで行動していたが、脳内は「帰りたい、今すぐに帰りたい」という気持ちでいっぱいだった。

それでもわたしはえいやっと心を奮い立たせて扉を開けた。その瞬間、待合室にまで聞こえるなんかよくわからない機械音が耳をつんざいた。

キュイーンとガガガガガで満たされた空間にいるだけでわたしのHPはゴリゴリに削られていく。まだ何も始まっていないが早く終われと念を送りつつ、保険証と診察券を受付のお姉さんに渡して適当な席についた。

待合室は昨今の状況のおかげで雑誌はすべて片づけられており、わたしは順番を待っている間、得意な妄想に時間を費やすことにした。
ペンギン帝国に移住し餌やり係になったものの餌の消費期限が切れていたため体調不良のペンギンが続出し無人島に左遷されたところまで妄想した辺りで名前を呼ばれた。これから面白くなるのに……と若干膨れながらトボトボと診察スペースに移動した。

歯科衛生士とおぼしきお姉さんに現状の確認をされながら、後ろに倒れるタイプのシートに座る。
「親知らず側の耳も痛いんですけど関係ありますか?」と尋ねたら「あー関係あるかもね、リンパで繋がってるからね」と言われた。わたしは少しだけホッとした。これで耳の痛みが歯痛と全然関係なかったら耳鼻科にも行かねばならないからである。

数分後、先生による診察が始まった(ちなみにこの先生とはわたしが小学生のときからの付き合いであり、子どもの頃の印象が強いのか、成人した今でも「すみちゃん」と呼んでくる。本筋とは全く関係ないが個人的にツボなので付け足しておく)。歯科でしか見たことがないあの小さな鏡を口の中につっこまれ、呪文のような専門用語を隣のお姉さんに向かって唱えた。

先生曰く、完全に生えきっていない親知らずに汚れが入りこんで周りの歯茎が炎症を起こしているらしい。飲み薬を2種類出してもらい、それでも痛みが引かなかったら抜歯ね、とのことだった。

親知らずをブチ抜く気満々だったわたしは少し拍子抜けしたが、

「この状態で親知らずを抜くとなると、麻酔かけて歯茎切るしかないね~」

などと軽い感じで言われたので、やっぱりブチ抜かなくていいやと思った。百戦錬磨の先生にとってはどうってことないのかもしれないが、意識が遠のくような話をヘラヘラ笑いながら言わないでいただきたい。

   *   *   *

その後、処方された薬が効いたので、仁義なき親知らずとの戦いは休戦となった。勝手にシリーズ化する気でいたのでちょっとだけ残念だった。しかし、麻酔かけて歯茎を切るのはどう考えても恐ろしい。結果的にこうやって文章になったから、親知らずが痛んだ甲斐もあっただろう。

……なんていうのは大嘘だ。痛いのはもう二度とごめんである。

仁義なき親知らずとの戦い 第一戦

前からなんとなく気配は感じていた。
カントリーマアムを食べたとき、本来歯茎であるはずの場所に食べかすがつまるような感覚。
痛いわけではないが違和感があり、その違和感は日に日に増していく。しかし痛いわけではないから放っておくしかなかったのもまた事実であり、まあなんとかなるやろ、などとのんきに構えていた。

ところがある日、ヤツが急に痛みだした。鏡で見てみると歯茎から白い物体がコンニチハしているではないか。自己主張を覚えたヤツに対し、わたしは久々に殺意を抱いた。

親知らずめ!許せん!

これは戦うしかない。仁義なき親知らずとの戦いである。

……とはいえわたしはこの戦いに関しては素人なので、ここは百戦錬磨のプロにお任せしたい。〇〇歯科医院、キミに決めた! などと叫びながらモンスターボールを投げる勢いで診察券を探し、固定電話の前に仁王立ちした。あとは予約を入れるだけの状態になったとき、わたしの動きがふと止まった。

歯医者がとても苦手なことを思い出したからである。

治療が痛いとか痛くないとかそういう問題もあるが、わたしの場合、歯科特有の機械音がめちゃくちゃ苦手なのだ。キュイーンとかガガガガガとかいう音を聞いていると歯ではなく頭が痛くなってくる。

なんだか想像しただけで気分が悪くなってきた。心なしか目も潤んできた。行きたくない。心の底から行きたくない……

……一旦昼寝しようか。

わたしは必殺・決断先延ばしを使うことにした。ぬくぬくのお布団に入って眠り、スッキリしたところでまた考えればいい。都合の良いことに今日のお布団は干したてで、ぬくぬくの度合いも桁違いである。夢の中では親知らずに悩まされることもなかろう。

皆さんおやすみなさい、よい夢を……

お布団に入ったわたしは目を閉じた。

幸せとはこのことだ、と思ったのもつかの間、ヤツの自己主張が始まった。しかも今度は激しめの自己主張ときた。何だこれは。耳の奥でキリキリと音がするくらい痛い。痛すぎて昼寝どころではない。もういやだ、わたしは何もしていないのに……

数分後、痛みに耐えかねたわたしは昼寝を諦め、かかりつけの歯科医院に電話した。プライドなんて知らない。痛いのは大嫌いだ。
半分泣きながら予約を入れ、受話器を置いたとき、何としてもこの戦いに勝ってみせると誓った。親知らずめ、許せん。明日お前の息の根を止めてやる!

   *   *   *

……とまあ、ここまで大げさではないですが、親知らずとの戦いが始まった話でした。