気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

瞬間的片思い

道端ですれ違う一瞬が美しくあってほしいと思う。

短歌ムック『ねむらない樹』という雑誌がある。書肆侃侃房が出版しており、短歌や対談や短いエッセイなどが収録されている。その雑誌の創刊号に、谷川電話さんという歌人が「瞬間的片思い」という文章を寄稿している。

知らない相手に対する、一瞬で消えてしまう、恋のような感情。ぼくはそれを、「瞬間的片思い」と呼んでいる。それは、恋ではない。でも、ぼくにはその瞬間が、その瞬間のその人が、その瞬間のその人に対する自分の感情が、とても尊く思える。

この文章をきっかけに、わたしも人の顔を見ながら歩くようになった。

事情があってわたしは人間の顔の識別があまりできないのだが、それでも道行く人々を観察するのはおもしろい。たまにハッとするような表情をしている人とすれ違い、次の瞬間には見失っているのに、何か素晴らしいものを見たという印象が強く残ることがある。

今回はそんな道端瞬間的片思いエピソードをドドンと大放出しよう。

……え? おもしろかったけど記事にならなかった話の寄せ集めだろうって? 誰だそんなことを言ったのは。塵も積もればなんとやらというではないか。そういうことは最後まで読んでからわたしに見つからない場所で言いなさい。わかった? ……よしよし、良い返事だね。

 

      *     *     *

 

①春の朝、バスターミナルで

1年前の4月、たしか初旬だったと思う。わたしは家から最寄り駅に向かって歩いていた。

最寄り駅前にはバスターミナルがある。規模はそんなに大きくないけれど、スクールバスやら市内循環やらがひっきりなしに来る。朝のバスターミナルは人が大勢いて、この街にはこんなにも人が住んでいたのか、と毎回驚いてしまう。

その日もわたしは早足でバスターミナルの前を通りすぎようとしていた。

ふと、背後から泣き声が聞こえた。あまりにも大きな声で泣いていたので振り返ってみると、真新しい制服を着た子どもが「行きたくない!」と叫んでいた。
おそらく幼稚園に入ったばかりの子で、送迎バスを待っているのだろう。お母さんがなだめても子どもの声は大きくなるばかりだった。
そうか、行きたくないのか、とわたしは思った。微笑ましいような、ちょっと可哀想なような、複雑な感情がわたしの中を渦巻く。何か声をかけてあげたかったけれど、恥ずかしさの方が勝って躊躇した。ただじっと、子どもが泣き叫ぶ姿を見つめていた。

親子に近づくおばあさんに気づいたのは、その直後だった。

おばあさんは泣いている子どもに微笑み、小さな声で何かつぶやいた。わたしには聞き取れなかったけれど、きっと優しいことばだったのだろう。子どもはぴたりと泣き止んで、不思議そうな目でおばあさんを見た。おばあさんはポケットから黄色いニコちゃんシールを取り出して子どもに渡した。子どもは潤んだ目をしながらも表情をぱあっと明るくして、笑った。

わたしはふたりの姿を後ろから眺めながら、なんて美しい光景なのだろうと思った。子どもとおばあさんの周りだけ朝日が降り注いでいるみたいに見えた。いつの間にか周囲の音を遮断していたわたしの耳は、徐々に街の生活音を取り込み始めた。電車がホームに滑り込む音を聞いて、わたしはやっとその場から動き出した。

 

②初夏の朝、散歩中

緊急事態宣言中で外出を避けていた頃のことだった。

当時のわたしは、いや、わたしだけじゃなくかなり多くの人間が、疲れていた。人に会えないストレスはこんなにも精神を蝕むのか、という驚きを全国民が共有した日々だったと思う。テレビをつければウイルスに関する情報が飛び交い、それらのうち何を信じればいいのかわからなかった。当時の日記を読み返すと、感情がよくわからなくなる。

わたしはそんな情報の海の中で、人が密集していなければ散歩程度の外出はしてもいいらしいという知見を得た。明らかに運動不足だし、マスク越しとはいえ外の空気を吸いたかった。

玄関を出てすぐに泣きたくなった。気軽に外出していた頃とは空気が違う。それは人がまばらなせいでもあるし、季節が進んでいたせいでもある。街中のあらゆる場所から生活の気配が消え、それでもツツジは健気に咲く。その事実が何だかすごく切なく思えた。

わたしが歩いた川沿いの道は、朝ということもあって人はほとんどいなかった。たまにマスクをしたランナーとすれ違い、その呼吸音がやけに耳に残った。わたしにとって走ることは、歩くことは、新鮮な空気を吸い込むことが楽しいと思うのだが、ランナーはどうなんだろうか。マスクを外して走りたいと思っているのだろうか。

歩き疲れたわたしは川の近くのベンチに腰かけた。その場所からは広大な原っぱが見えた。

周りを見渡してみたら、少し離れたところに家族が見えた。小学生くらいの男の子ふたりと、お父さんとお母さん。男の子が必死に動いているなと思ったら、その手は虫取り網を握っていた。
視線の先には蝶がひらひらと舞う。男の子は虫取り網を無造作に振り回す。見かねたお父さんが男の子の手を取って一緒に蝶を探す。ふたりで網を振り、同時に歓声が聞こえる。お母さんが手を叩いている。ここから顔は見えないけれど、きっとみんな笑っている。

全然知らない家族を眺めていたら、またしても泣きたくなった。そこには平和があった。わたしが見たかった平和だった。

 

③冬の夜、駅から自宅へ帰る途中で

ついこの前、最寄り駅の近くを歩いていたとき、同じくらいのスピードで歩く女子高生を見かけた。彼女はスマホを耳に当て、誰かと電話していた。声が弾んでいた。恋人と話しているんだろうな、と何となく想像がついて、こっちまでにこにこしてしまった。

何やら相づちを打っていた彼女は、「じゃあまたね」と言いながらスマホを耳から離した。

その瞬間の表情が、忘れられない。

彼女はため息をつきながらスマホの画面を暗くした。マスクを引き剥がすように取り、ゆっくりまぶたを閉じ、涙を一粒こぼしたと思ったら笑っていた。強がって、というよりも、寂しさを紛らわせるような笑みだった。
一部始終を見ていたわたしの頭の中に、どうしても生きてる、というフレーズがパッと浮かんだ。何があっても生きていくしかない、というような、諦めに似た決意みたいな感情。彼女の横顔を見て美しいなと思った。

彼女は一度俯いたあと、まっすぐ前を見て歩き始めた。口元は笑ったままだったけれど、その印象は変わった。うまく言い表せないけれど、強さを感じた。わたしの人生はわたしのものよ、誰にも邪魔されないわ、とでも言いたげな、無敵感を帯びた笑みだった。ローファーでカツカツと歩く姿がとてもかっこよく、ドラマのワンシーンみたいだった。

勝手に感動したわたしは彼女の後ろ姿にエールを送った。全然知らない人だけど幸せになってほしいと思った。

 

     *     *     *

 

瞬間的片思いはつづく。