気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

伝書鳩

わたしが初めてスマホを持ったのは2017年頃のことだ。

当時わたしは高校生だったが、クラスメイトのほとんどがスマホを持っていた。ガラケーを使っていたのはわたしだけで、友人はわたしを縄文時代の人間のような扱いをした。ガラケーイコール縄文土器というのもかなり大袈裟だが、あまりにもしつこく言われるので、ガラケーはわたしのアイデンティティのようになっていった。

そのガラケーとは中学時代からの付き合いだったが、ある日突然バッテリーがおかしくなって充電できなくなってしまった。わたしはアイデンティティを捨て、スマホに買い換えることにした。
友人は「お前の魅力がひとつ減った」と言わんばかりに罵ってきたけれど、わたしもLINEが使えるようになったことに気づくと、手のひらを返したように「よくやった」と褒め称えた。今までLINEで済む話をいちいちメールで送ってもらっていたので、その手間が省けたのはたしかによかったと思う。

こうしてわたしも現代人の仲間入りを果たしましたとさ、めでたしめでたし……となっていたらこの文章は生まれなかった。本題はここからである。

スマホを使い始めるまで気づかなかったのだが、世の中は情報に溢れていた。スマホひとつで膨大な量の情報が手に入る。おまけにSNSなんてものも普及していて、顔も知らない人間と簡単に繋がることができるようになっていた。縄文人もびっくりである。

最初はおもしろがっていろいろなツールに手を出したけれど、時間が経つにつれて、疲れるようになってきた。膨大な情報量に脳がついていけなくなった、といったところだろうか。スマホを手放したい、もっとのんびりと生きたいと考え方が変化してきた。

ただ、今からガラケーに戻るのも気が進まなかった。
とにかく画面から離れたい、しかし何らかの連絡手段は残しておきたい、そんなわがままを許してくれるものはないか……
貧相な知恵をウンウン絞っていると、ある考えがわたしの頭をよぎった。

伝書鳩

そうだ、伝書鳩という手がある。鳩を飼って手紙を運んでもらおう。

わたしはすぐさま図書館に出向いた。無論スマホWikipediaか何かを見ればすぐにわかることだが、もう電子の海に飛び込む体力も持ち合わせていなかった。司書の方に「伝書鳩について調べたい」と声をかけ、関連する本を調べてもらい、1冊ずつ読んでいく。皮肉なことにスマホを手放したので読む時間は腐るほどあった。
そんなわけで、数日後、わたしは伝書鳩について異様に詳しくなった。これからはわたしのことを「伝書鳩のエキスパート」とでも呼んでいただきたい。

それからさらに数ヶ月後、わたしはさまざまな手段を駆使して伝書鳩を手に入れた。
詳細は省くが、伝書鳩を所有するには脚環を付けたりワクチンを接種したりしなければならず、思ったよりも手間がかかった。まあこういうことは想定済みだったので途中で投げ出すことはなかったけれど、伝書鳩のエキスパートでなければ発狂したかもしれない。

ほとんど使っていなかったスマホを正式に解約したわたしは、晴れ晴れとした気持ちで伝書鳩ライフをスタートしようとした。
早速友人に事情を話し、住所を聞き出した。伝書鳩はふつう200km以内の範囲で利用されるという。友人はそんなに離れた場所に住んでいないので問題ないだろう。

友人はそれぞれ、

「何を言っているのかまったくわからない」
ガラケーの方がまだマシだった」
「ていうか伝書鳩って何?聞いたことないんですけど」

という反応を見せた。伝書鳩を知らないのは驚いたが、そのうち彼女達も伝書鳩を欲するようになるだろう。今に見ていろ。

時代遅れだと罵倒してきた友人達を後悔させてやる!と息巻いていたら、ふと、重大な欠陥に気がついた。

伝書鳩というのは帰巣本能を利用している。
つまり、伝書鳩を往復させるには、わたしだけでなく受け取る方にも鳩舎が必要なのだ。

当たり前だが友人の家に鳩舎はない。これじゃ連絡手段として伝書鳩が使えないではないか!なぜもっと早く気づかなかったのだろう。滑稽なことに、後悔するのはわたしの方だったのだ。

あまりの落ち込みように友人もオロオロし始めた。慰めとして大好物の白いブラックサンダーを渡されたが、それだけでは立ち直れないと喚いた。それでも食欲には負けたわたしは、白いブラックサンダーをもぐもぐしながら泣いた。友人は安心したらしく、それぞれの席へと戻っていった。

……というわけで、伝書鳩作戦は失敗に終わった。誠に残念である。
しかし鳩に罪はないので、伝書鳩になる予定だったカワラバトちゃんには我が家のペットになってもらった。今も鳩は我が家のリビングを闊歩し、ときどき窓の外を羨ましそうに眺めている。