気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

生き返る

本名でInstagramを始めた。何年も前に元同級生のアカウントを見つけてから、わたしもやってみようかなとずっと悩んでいた。悩む理由はいくつかあったけれど、そのひとつにわたしが生き返ってしまうというものがあった。

わたしは小学校も中学校も高校も不登校で、同級生との思い出がほとんどない。携帯も買い替えたので誰ひとり連絡先も知らない。成人式も散々迷った挙句行かなかった。というわけで、大袈裟な表現をしてしまえば、同級生の間で時田死亡説が流れてもおかしくないのである。死んだ(と思われたかもしれない)人間が生き返っていいのだろうか。この過剰な自意識が決断を邪魔して数年間問題を放置していた。

じゃあなんで今になって突然始めたのかというと、寂しかったから、としか言いようがない。学校に恨みはあるが同級生のことは(ほんの一部を除いて)嫌いじゃなかったことに今さら気づいてしまった。あと、不登校とはいえたまに教室に行っていたので、わたしの存在自体は忘れられていないだろうというこれまた過剰な自意識があった。

アカウントを開設して、中学の同級生を中心にフォローしていった。

一番連絡を取りたかった人のことはあえて自分からフォローしなかった。絶対に見つけてくるだろうと思っていたからだ。そうしたら数日後ほんとうにその通りになって自分でも笑ってしまった。DMのやりとりが昔のそれと全然変わっていなくて、もう一度笑ってしまった。

やりとりが終わったと思ったら、彼から今度はこんなDMが来た。

 

「小説家になるんですか?」

 

心臓をぐしゃっと掴まれたような気がした。

なんで!?と思ったら理由は簡単で、アカウントのウェブサイト記載欄にこのブログのリンクを貼り付けていたからだった。彼はブログを読んでくれただけだった。

「小説家になりたいんですか?」じゃなかったところがまた彼らしいと思う。わたしは逃げられないと思ったので否定しなかった。その後のやりとりで「〇〇賞に応募しとけ」と言われた。なぜそんなマニアックな新人賞を知っているのかは尋ねなかった。

 

最近小説を書きたいのかどうかよくわからなくなっている。原稿のことを考えると精神的に体調が悪くなるし、パソコンの前に座っていても何も出てこないし、わたしはほんとうにこんな苦しみを伴う作業をしたいのだろうか?と疑問に思う。

小説を書きたいと小説家になりたいは別物で、わたしは前者でありたいと思っていたのだけど、ほんとうは後者だったのかもしれない。肩書きがほしいだけだったのかもしれない。小説の神様がいるとしたら、きっとわたしには微笑んでくれないだろう。

それでも書いてしまう人だけが小説家になれるのだ。