気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

創作

初めて小説を書いたときの話をしよう。

小説を書く前は漫画を描いていた。絵が下手で横顔が描けないから登場人物が全員前を向いている、不自然すぎる4コマ漫画を量産していた。ピクトグラム星のピクトさんという全身塗りつぶしの棒人間みたいなキャラクターが地球にやってきて散々な目に遭う、みたいなストーリーだった。小学生だったわたしはなぜか自分の漫画に相当自信を持っており、親やら先生やら同級生やら、とにかく周りの人に手当たり次第見せびらかしていた。

絵が下手なくせに練習して上達しようという向上心がなかった。同級生にめちゃくちゃ絵の上手い女の子がいて、その子の真似をしようとしたこともあったけれど途中で挫折した。小学校卒業あたりからわたしはだんだん絵を描かなくなっていった。今になって考えてみれば、そもそも漫画をほとんど読んだことがなかったので、漫画を描かなくなるのは時間の問題だったような気もする。(余談だが、その同級生は芸術科のある高校から現役で藝大に入った正真正銘の天才だった)

漫画を描かなくなったときに、わたしはどうしようもなく孤独だと思った。

わたしは話すのが苦手だったから、描いた漫画を見せる以外のコミュニケーションの取り方を知らなかった。外の世界とのコミュニケーション手段がなくなった、と、当時のわたしは絶望した。それでも絵の練習をしてもう一度漫画を描こう、みたいな思考にはなぜか至らなかった。

 

中学二年のとき、わたしは夏休みの宿題として原稿用紙3枚の掌編小説を書いた。

note.com

(noteに当時の原稿を加筆修正したものを載せたので気になる方はどうぞ)

その前にも何度か小説らしきものを書いたことがあったけれど、全部途中で放り出していたから、この物語がわたしの最初の小説だった。冷房のない部屋でカルピスを飲みながら書いた記憶がある。蝉の鳴声とグラスの中の氷が溶ける音だけが響くあの部屋で、わたしはさらさらとシャーペンを走らせた。たしか1時間もかからずに完成した。夏休み初日のことだった。

物語はすぐに完成したのに、タイトルを決めるのには時間がかかった。これだ!と思えるタイトルが全然思いつかなかった。駅前の書店に行って背表紙を眺め、タイトルの研究らしき無駄な努力をした結果、「図書館の夢」という何のおもしろみもない名前をつけた。納得はしていなかった。

この小説を提出したら、国語の先生がおもしろいと言って、学年代表で地域の文集に載せてくれることになった。家に帰って母に自慢すると「すみには文才があるのよ」と誇らしげに言った。思えばその文集に載るのは4回目だった。母がいうには、自覚がなかっただけで、わたしの文章はいろいろな場面で褒めてもらえていたようだった。

数ヶ月後、胸の高まりをなんとか抑えながら、届いた文集をぱらぱらとめくった。「創作」と題された文章はたったみっつしかなく、しかも残りのふたつは教科書に載っていた小説の二次創作だったので、わたしの文章は心なしか目立っているように見えた。
活字になったわたしの小説は、拙く読みにくかったけれど、たしかにそこに存在していた。何度も何度も読み返しては音もなくニコニコ笑い、家族から気味悪がられた。

ふと紙面から顔を上げると、わたしはあの物語で描いた図書館の地下室にいた。まきとくるみが向かい合って談笑している横で、わたしはその様子をじっと観察していた。手元には下手くそなふたりの似顔絵が描かれた紙きれをそっと握っていた。その似顔絵は原稿用紙の隅っこに描いて提出前に消したものだった。
夢だということにはすぐに気づいた。涙で視界がにじむ中、これがほんとうの「図書館の夢」なんだと思った。おもしろくないタイトルだと思いこんでいたけれど、ちゃんと意味があったのだとそのとき気づいた。

 

わたしはあのときの気持ちを忘れられず、高校で文芸同好会を作ったり、インターネットで短歌を詠んだりして、未だに創作にしがみついています。何度ももう無理だと思ったし、なんなら今ももう無理だと思っています。わたしには才能がありません。それでも何かを妄想することが、それを書き留めることがどうしようもなくすきです。他人に読ませるかどうかはわかりませんが、たぶんわたしはずっと書き続けていくんだろうなと思います。 

わたしはいつもぼうっとしているので、こうして小説を書いていることもただの夢にすぎないと思うのです。けれど今、わたしの机の上にあのときの文集や原稿用紙があることもたしかなのです。