気まぐれなあとがき

すべてあなたとわたし宛て

コーラ

この世にコーラなる飲料が存在することは知っていた。知ってはいたが、今日まで飲んだことがなかった。

家が厳しくて禁止されていた、みたいな事情は特にない。わたしの弟はコーラが好きで、夏場になると冷蔵庫にコーラを常備している。彼の中でコーラとポテトチップスは相性が良いらしく、よく一緒に食べている。わたしはそんな弟を見て「飲んでみたいなあ」と強く思うこともなく、今日に至るまでコーラを飲む機会を失っていた。

ようするに、21年の人生でコーラに対して興味を持つことがなかった。ただそれだけである。

 

今日、そんな話を職場の同僚にしてみたら、ひどく驚かれた。

 

彼曰く、令和の時代にコーラを飲んだことがない成人などいないと言う。彼はコーラに興味がないなんてまったくどうかしていると言わんばかりにコーラの魅力を語り始めた。

口に含んだときの何とも形容しがたい炭酸の刺激、ふわりと香る独特の風味、炭酸が喉を通る爽快感……わたしは途中何度も意識を失いかけたが、要約するとこんなことを言っていた。うっとりしながら解説するその表情はまさに恋する乙女だった。

一通り喋り倒したあと、彼は席をはずした。いつの間にか昼休みも終わりに近づいていた。わたしは肺に入っていた空気をすべて吐き出した。この数分で今日の体力のほとんどを奪われた気がした。というか彼のコーラに対する熱量に引いた。ドン引きである。コーラ愛好家がこんな身近にいるとは知らなかった。

いや、彼はもはや愛好家では済まされない。

おそらく、彼はコーラ製造を主産業としている国の人間なのだ。発売当時世界的にヒットしたコーラだが、現在は売上が右肩下がりで、彼の祖国はたいへんな不景気である。元々大企業に勤めていた彼もリストラされ、ホームレスに成り下がった。路上で段ボールを敷いて寝る生活をしていたらいかにもアヤシイ男に声をかけられて、コーラの魅力を吹聴し売上を回復させる国家の機密プロジェクトに加担する運命になった。日本のとある小さな会社の社員として働きながら、隙あらば人々をコーラ中毒にして回るのだ。きっとそうだ。そうに違いない。

まずい。このままだとわたしは彼の作戦にまんまとハマってコーラ漬けの人生を送ることになってしまう。コーラに人生を狂わされるなんてまっぴらごめんだ、こちらも何か手を打たなければ……などと思考を巡らせていたら、廊下の向こう側に彼が見えた。

デスクに戻ってきた彼は、黒い液体の入ったグラスを二つ手に持っていた。やけに口角が上がっている。わたしは嫌な予感がした。その黒の液体は、もしかしてコーラなのではないか?

嫌な予感は大体当たると相場が決まっている。彼はわたしのデスクの上にグラスの片方を置いた。カタン、という音がやけに耳に響く。グラスの中はというと、気泡がふつふつと絶え間なく浮かび上がっており、その様相はまるで地獄の釜のようだった。彼はわたしに微笑みかけ、ジェスチャーで液体を飲むように促してくる。悪魔の笑みだった。

ここまで来たら飲むしかない。わたしは意を決してグラスを手に取り、液体を口に入れた。半分人生が狂うことを、半分死を覚悟していた。

口に含んだときの何とも形容しがたい炭酸の刺激、ふわりと香る独特の風味、炭酸が喉を通る爽快感……

……なんて美しい感情は皆無だった。はっきり言って初めて飲んだコーラはまずかった。なんというか、わたしには刺激的すぎる。お前はまだまだ子どもだな、と誰かに耳元で囁かれているようだった。

「どう? 美味しいでしょう?」

彼はこちらをじいっと観察しながら尋ねてきた。口角は上がったままだ。

答えは決まっている。明日から彼はわたしとひと言も言葉を交わしてくれなくなるだろう。それでも言わねばならない。わたしは昔から嘘がつけないのだ。

「……この世の終わりみたいな味がする」

   *  *  *

……とまあ、9割嘘なんですが、先日コーラを初めて飲んだ話でした。